ハーフタイムは親子でベガッ太と一緒にベガルタキッ~~~ク!!!
のんびりとした雰囲気の中、後半が開始。
エンドが交代してもベガルタの攻勢ペースは変わらず。水戸陣の広大なスペースも相変わらず。
もはや全く失点の気配すらしないし、あとはこっちが何点取れるかだけだな~と思っていた62分、再び「彼」が歓喜を与えてくれる。ヨゼフ・ガスパル、伊達にスロバキアU-17&五輪代表に選ばれていたわけではないぞという、その片鱗を見せてくれた。得点は再びシルビーニョのCKからのヘッド。
やはり、母国がEUに新規加盟して気分も良かったのだろうか? しかし統合効果がこんなに早く出るとは…ってんなわきゃないか。
そして得点以上に僕が感動した、というか見直したのは彼の「素顔」。あんなに熱く自分の感情を表現する人間だとは思わなかった。優しげな笑顔と上気した眼差し。僕の中ではこれで、
スロベニア<スロバキアは決定(なんだそりゃ…)。
ただ、そこからまたいつもの悪い癖、「得点直後の失点」が発生。こちらの右サイドを水戸の左SB伊藤に自陣から一人で延々とドリブルされ、最後は簡単にラストパス、しかもあっさり磯崎に決められる。この時だけ仙台と水戸(=かつての仙台)が摩り替わってしまっていた。集中力の欠如とドリブルへの弱さはもはやお家芸か? 人数は充分に足りていたのだから、人任せにせず、少しでもコンタクトプレーに行けば防げた得点だった。
この辺が
「甘い」。
しかし、勝勢そのものは揺るぐこともなく、65分、再び村上がミドルを放ち、CKを得る。ここで、先の2得点ですっかりサポーターの心を掴んだガスパルが再び前線へ、それに対してサポーターはハットトリックを要求する「ガスパル!」コール。
さらに面白いことに、この一連のプレーの間に「ガスパル!(がすぱる!)ガスパル!(がすぱる!)」という掛け合い応援がサポーター席から自然発生的に始まる。広島カープの立ったり座ったりしながら選手名を連呼する応援を思い出してもらえると解りやすいかもしれない。彼自身は惜しくもゴールを決められなかったが、この「ガスパル!(がすぱる!)」コール、次もあるのかな???
さて、73分には、足の不調から今シーズン初めてスタメンを外れた財前宣之が満を持してピッチに投入される。「軽い」プレーが多い、運動量が少ない、フィジカルが弱い、ヒゲが濃い、歌がうますぎ、、、なんだかんだ言われることも多い財前だが、誰が何と言おうがやはりベガルタの
「背番号10」は彼しかいない。ベガルタと改称した初年度(1999年)から在籍しているのはもう財前と千葉直樹だけになってしまった(直樹はブランメル時代からだからもっと凄い)し、そういう意味からも、齢未だ27にして「ベガルタ仙台」の全てを見てきた男である。あの大分戦での靭帯再断裂の映像は今も見るに耐えないし、その後の復帰と平間、伊藤卓とのポジション争い、テル、山田との黄金の中盤の形成、京都戦の歴史的J1昇格ボレーシュート…全ての歴史を体験しながら彼は今再びJ2のピッチに立っている。
好きな選手はロベルト・バッジョ、デル・ピエロ、パブロ・アイマール。そうした「自由」をこよなく愛する奔放な彼だが、なぜか「規律」で選手を縛るのが大得意なベルデニックから(今のところは)最大限に好まれている。ベガルタ七不思議(そんなにないかな?)の一つだ。仙台での岩本や西谷、また名古屋でのウェズレイとの軋轢のように、天才肌で意外性を体現しようとする選手、また自我の強い選手との対立を繰り返して来たベルデニックが何故ここまで財前を重宝するのか? う~ん、確かに彼はマジメに監督の話は聞くし、今年は特に守備にも一生懸命ではあるが…。試合中にも「ザイゼン!」という声がマイクを通じてよく聞こえてくる。報道等を見る限り、財前は監督へ意見「上奏」も度々行っているようだが、不思議とベルデニックは
財前に関する限りはそうした言葉を真摯に受け止めている。
はてさて? 一体これはなんなんだろう? 若年時のイタリア留学やスペインリーグ、クロアチアリーグ所属の経歴がそうさせるのだろうか??? リフティング選手権やらせたら優勝しそうなボール扱いの上手さに惚れたのだろうか??? まぁ、ザイファンの僕としては、何にせよ使ってくれるのは嬉しいのだけれど…。
財前は今日も自由にピッチ上を駆け巡り、右へ左へ、前へ後ろへと楽しげに芝生の上を躍動する。WBの時の渋い顔が嘘のように、楽しそうにボールを要求し、また自分から貰いに下がってくる。ボールタッチが多い方が彼の特性が活きるのを自分でもよく自覚しているのだろうし、単純にボールにたくさん触りたいだけかもしれない。
今日は直接得点に絡むことは無かったが、左45度、彼の最も好きないわゆる「デル・ピエロゾーン」からゴール逆サイドへカーブを掛けて巻き込むシュートも見られたし、個人的にはまずまず満足。
ホントにベルデニックは何故右WBでの起用に偏執、固執していたのだろう? 解せない…。
さて、試合に目を戻すと、75分、もはや試合を完全に決定付ける4点目が入る。
右サイドでの展開から怪我明けフル出場で頑張っていた中原がまたまたフリーになりシュート!!……を見事にダフった!!……のがちょうどこれまたドフリーで走りこんだ大柴の足下へ。右足に当てるだけの「ごっつぁんゴール」で彼もベガルタ初、1年半ぶりの得点!!! サポ席では得点時の凱歌「シャンゼリゼ」の連発でこのゴールを祝福。こんなに余裕を持って試合を見られるのも久しぶりだ。
さらに、続けて試合終了間際には西谷とリャン・ヨンギの連続投入。西谷についてはもはや説明不要かもしれないが、技巧的ドリブルと飛び出しを得意とする攻撃「オンリー」MF。当初はトップ下予定でキャンプを過ごしていたが、個人プレーに走りがちなところがズデンコの癪に触ったのか、完全に衝突して最近はすっかり干され気味…な選手。後でTV実況を確認したらTBCの大井アナが「前節後、久々に監督が西谷と会話しているのを見た」うんぬんと語っていて、おいおいって感じ。いくら嫌いでも話合おうよ、お互いにプロなんだから…。でも、僕はそんな西谷が好き。
一方のリャンは阪南大出身のテクニシャンで昨年、一昨年と2年連続で関西大学リーグのMVP。さらにはリーグ得点王、アシスト王にもなっており、また外国人枠にも引っ掛からないということで、
「何でこんないい選手が来てくれたんだ?」という選手の一人。
僕は左の秋葉、右のリャンが昨年までのテル、ザイの後釜に座るようになればいいなと密かにイメージを抱いているのだが果たして2人ともそこまで成長してきてくれるか…。
しかし、このテクニシャン3人の共存に僕が胸をときめかせたのも束の間、遅れて入った西谷とリャンはこれといった効果的なプレーを見せることも無く、あっという間にロスタイム。特に西谷はボールタッチそのものがままならない部分もあり、実戦不足な感は否めなかった。まぁ、彼らのファンタスティック(且つリスキーでもある…)なプレーを楽しむのは次の機会に譲りましょう。
とにかく、みんな
あんまり監督と対立しないでね! マジで頼みます。
そして、試合は、そのまま、まったく危なげ無くタイムアップ!!! やった!!!
ホイッスルと同時に一気に歓喜の輪が広がり、黄金の集団から雄叫びが沸き起こる。選手がスタジアム一周して挨拶をする中、選手一人一人を労うコールが控え室へと選手たちが消えるまで続く。僕も最後まで声を限りに彼らへの賛辞を込めたコールを叫び続ける。
ヒーローインタビューを終えて登場したガスパルにはまたまた、掛け合いでの「ガスパル!(がすぱる!)ガスパル!(がすぱる!)」コール。これはちょっと当分はまりそうだ…。あの人懐っこそうな笑顔と頑張って日本語で挨拶しようとする姿勢にもちょっとばかりやられたし…。
ただ、今日の試合内容を厳しく総括するなら、「とてもじゃないが、J1レベルには程遠い」。端的にはこのように述べざるを得ない。
コールリーダーですら途中で「何かマッタリしてんぞ!」、「マッタリ行くか!」と言い出してしまうほどの「ゲーム密度の低さ」に関しては無論のこと、監督の選手起用法や守備重視戦術に対してのモヤモヤも未だに晴れ間は見えてこない。昨年まで、負けつづけたとは言え、J1で華々しく戦っていた姿を見ているだけに、現在のチームがこのような閉塞した状況に陥っているのは少々残念でもある。
それに、結果こそ確かに4-1だったが、本当にベガルタがチームとして機能し始めたと言えるのかどうかは、この試合内容だけでは判断がつかないところだ。J1に上がるのならこれくらいの結果を出して至極当然の相手だったし、本来ならあと2、3点は取ることが出来た試合だった。
「下位チームに1勝しただけ」という、この取り敢えずの結果に満足しているようでは、まさにJ2に定着していくチームになってしまう。そもそも、J1に上がると公言している以上、本来ならば
「勝ち続けて当然」なシーズンである訳なのだから…。
僕自身としても、一つ一つの勝利に舞い上がり過ぎないよう、充分に心を戒めつつ、今後も冷静に且つ熱く応援していきたいと考えている。
では、最後に、本日の私的MOMを発表したい。それは遅れてきた原石「小原章吾、背番号4」である。
確かに、今日は得点を決めたし、守備も破綻させなかったし、いろいろな意味でガスパルもマジ最高!!ではあった。そして右サイドMFの中田洋介もガンガン突破を見せるなど、非常にキレていた。しかし、冷静に今日の試合を振り返った時、僕の中でベストプレーヤーを一人挙げろと言うならば、それは間違いなく小原だ。
開幕以来、小原をサブ、もしくはベンチ外に置き、数馬の起用にこだわり続ける監督に僕は延々と疑念を呈していたのだが、それが正しかったことも、今日、改めて確認できた。
そもそも僕はマンマークが大嫌いな戦術であるので、ゾーンディフェンス向きで読みが鋭く、また足元の技術が確かなDF(端的に言うなら、守備的ボランチもできるようなDF、リカルドのような…これまたベ・マニアックな人選ですね。え~っと、阿部勇樹のような…)を好む傾向があるのだが、小原はそうした僕の理想にマッチする選手だった。パスとフィードはある程度安心して見ていられるし、無駄なプレーを省き、機を見ては前線へオーバーラップして行く。トルシエフラット3時の中田(浩)を思い出してもらえると解りやすいと思う。まだ21歳にして、既になかなかの完成度を持った選手であるように感じる。
事実、昨年には、オリンピック代表にも選ばれており、カタール遠征では、本人自身、代表定着に手応えを感じていたという。しかし、そこで患った右足小指の骨折が響き、その後は非召集のまま。現在ではオリンピック出場は厳しいものとなってしまったが、順調に成長していけば井原、宮本レベルになるのも決して不可能ではない選手だろう。
さぁ、こうして久々の観戦も無事に終了と相成りました。それではこの快勝を夜空に輝く父母なる星「ベガ」と「アルタイル」に捧げつつ、最後に大声で叫びたいと思います。
「仙スタはやっぱ最高だ~~~!!!」
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…っと、以上、観戦記としていろいろ書いてきましたが、何にせよ、次の大宮戦で取り敢えずは「全て」が判明すると思います。
そして、ベガルタサポーターとして僕が「これからのベルデニック」に判断を下すのは、そこまでは取り敢えずお預けにしていたいと思います。
ただ、、、
監督としてのズデンコを心情的に「好きではない」のはもはや変えようがありません。
昨年来、彼の言動やその方針、また戦術眼の無さ、不可思議な選手起用には幾度も幾度も憤慨、憤怒させられてきましたし…。
これまでの記事の中でも何度か触れてきたことではありますが、彼の招聘後、現在に至るまで、ほぼ全ての面で「大失敗ばかり」であったことは厳然たる事実です。これは弁明のしようがありません。
そもそも彼は、チームやクラブが今どうなっているのか、そしてどうすべきなのかといった根本的なことに
「気付くのが余りにも遅すぎ!!!」です。
臨機応変さや「サッカー勘」がとことん欠如しているというか…。
もう素人目にも呆れ返っている人は多いと思いますが、何故ここまで戦術眼が無く、戦略を読み解く視野も狭いのか? いや、「狭く見えてしまう」のか? その要因は、彼が持つ有り余る知識と知恵を用いる「時と場所」を取り違えているからに他ならないのではないでしょうか?
彼の持っているサッカー理論は確かに素晴らしいものです。けれど、それをどこにどう適用すべきなのかを見抜く才能、つまり「気づき」の能力にズデンコは非常に欠けているように感じます。
「気付くのが遅い」⇒
そして気付いた時には「手遅れになっている」⇒
だから「付け焼き刃の采配しかできない」。
それが昨年来、これまでの仙台に於ける彼の指導ぶりと言っていいと思います。なぜフロントはJ2降格間近という切羽詰まったあの時期に即効性の期待できないベルデニックを招聘してしまったのか???…もう言うのは止めますが、お互いに非常に「不幸」なことでした。
正直、もう一度リュブリヤナ大学の博士課程に戻って、学生相手にコーチングライセンス学の講義でもしていた方が、彼の頭脳を活かすためには合っているのではないかとも思います。実践よりも理論がお似合いな監督の典型ではないでしょうか?
「ベルデニックがチームを作るのには時間がかかる」、「だからもう少し我慢しよう」、そう言う人は多いです。でも、今の僕はそれを決して否定はしませんし、寧ろ積極的に肯定しています。それは、至極当たり前のことを言っているだけだと気付いたからです。
「普通の監督が3ヶ月でできることに半年も1年もかかる監督」なのですから…。そりゃ時間がかかるのは当然のことですよね。
また、名古屋時代は負けはしないものの異常に引き分けが多い監督として有名でしたが、スロベニア代表監督時代の戦績も32試合10勝8敗
「14分」。1つの勝利による勝ち点が「3」となり、負けない監督より勝つ監督が名将とされる現代サッカーに於いてはちょっと心配になるようなデータも彼は持っています。
ホームの観客が減ってきた要因としても、勝つ勝たないという結果以上に、何よりも「クラブ」や「チーム」そのものからサポーターに発信する「魅力」がどんどん薄れてきていることが大きく作用していると思われます(去年は負け続けても満員だった訳ですし…)。
そもそも、選手との不要な対立を繰り返し、能力、実力のあるプレーヤーを起用せず、練習中に反目した選手とは会話もせず…そうした「意地」のために一体、何試合を失ってきたのか? さらには、そうして選手のモチベーションを下げ続け、何人の選手を不本意にプレーさせてきたのか? そして、その結果はどうだったというのか?
これは岩本や福永、西谷らの例を上げるまでもなく、昨季、継続して起用し続けた根本ですら、昨季最終戦のあの位置での起用にインタビューで違和感を表していたことからも明らかなことです。
けれど、そうは言っても、、、
過去をいくら振り返っても仕方がありませんし、全く意味もありません。それに現状の、そしてこれまでの選手、コーチたちの必死な頑張りを見たら監督を「嫌い」になることは決してできません。それはチームの負けを望むことになってしまう訳で、クラブを愛するサポーターとしては無理なことです。
それに、今回、実際に90分間テクニカルエリアで指示を出し続ける監督の姿をスタジアムで目にしたら、不本意ながら(!?)ズデンコを応援せずにはいられませんでしたしね…。
絶対に「好きにはなれない」、だけど
「絶対に嫌いにもならない」。そう僕は心に決めました。それはもちろん監督のためではなく、「選手のため」、「チームのため」、「クラブのため」。今は嫌なことも含めて「丸ごと」応援していこう、そう考えています。
いずれにせよ、これからは、今までのマイナス分を少しでも取り返せるだけの「成功」(大成功でなくてもいいから…)が果たして有り得るのかどうか? そこを見極めながらベガルタを見ていくつもりです。
そして、その「成功」を獲得するための選手は充分に揃っています。それは、中原、萬代、中田、小原といった現在、試合に出ている成長株だけではなく、僕がサテライト組で特に期待を寄せている秋葉、リャン、樋口、大久保なども同様です。
こうしたテクニックのある、戦術に囚われない個性派の若手がどんどん出てきて、いい意味でベルデニックを困らせていって欲しい、そしてベルデニックも彼の戦術を個人個人に合わせながら、少しずつでも「自由」を与えていってもらいたい、要はもっとゲームを楽しむ
「遊び心」を持って試合に当たって欲しい。僕は今、そう願っています(特に秋葉のFKが早く見たい!!!)。
そして、そうした兆しは、事実、財前を右WBから解放し、直樹と小原をスタメンで使い始めたあたりから、僅かずつではありますが見え始めているような気もします。
とにもかくにも、次の大宮戦です。ここで今季の運命がある程度見えるでしょう。
ちょっと今回は(も?!)ズデンコに厳しい意見を浴びせましたが、彼には異論反論、色んな見方があるでしょう。でも、僕は敢えて苦言を呈していきたい。もし、彼に苦言すら出なくなったならば、その時には仙台スタジアムはきっと1万人割れしているでしょう。
by El Stupa
前回のmowさんの投稿は、前々回の僕の記事に呼応してくださって、サポーターをめぐる「意識」の位置付けやその背景に関していろいろ面白い観点から述べてくださいました。自己の立場を自覚した上でサポーターを演じるための「仮面」か、自然な営みとして、無知覚なまま自己表現の手段と成り得る「仮面」か、う~~~ん、なるほど。いろいろ考えさせられました。
今後も、こうしたサポーター論は折に触れて出てくる話になっていくかもしれませんね。
それと、確かに僕はよく言えば楽観的、悪く言えば夢想主義、mowさんは逆に、悪く言えば悲観的、でもよく言うと堅実主義って感じなのかもしれませんね。今現在の人生の進み方もそういう意味から言っても、やっぱり対照的なのかも…。
ところで話は変わりますが…
一度、mowさんもサポーター席の、しかも「コア」な人たちのいる近くに入って応援しながら(一応、声を出してる
「ふり」くらいはしとかないとつまみ出されかねませんので…要注意です!!)いろいろ観察してみると面白いかもしれませんよ。広い意味での「試合」を見る目が変わるかも…。拡声器で叫ぶコールリーダーとか、その周りのサポーターの反応なんかは勿論そうですし、それ以外にも横断幕や帯の張り方とかゲーフラの使い方、それにボランティアの人が試合前後にどう動いているのかとか、いろいろとゲーム内容以外での「試合の動き」も垣間見られてなかなか楽しいものです。そして、次の観戦機会には再びそこを離れて「コアサポ」や「ボランティア」を含めた「試合全体」を見てみると、それまでとは違った視点や視角を持ってスタジアムを俯瞰できるかもしれません。
当たり前のことではあるんですけど、やっぱり指定席、サポ席、自由席、ファミリー席etc.、場所や席種によって、それぞれ、見える風景や感じる空気が全然違うんですよね。そしてその
「違い」をスタジアムで体感すること自体も、僕は結構好きだったりします。
もしチャンスがあったら、どうですか? ちょっとお勧めしてみます。
あ、それと…。
mowさんの前稿にもありましたけど、僕がupする記事、確かに余りにも長すぎですよね。自分でも改めて読み返して、ちょっと反省してました。ホントすみません。一旦書簡を書き始めると止まらなくなってしまう傾向があるみたいです。
今後は五輪出場決定試合やW杯プレーオフのような「大事件」でもない限りは、内容を絞って、より簡略な構成になるように気をつけていきたいと思います。もしくは2回分を2週に分けたり、いろいろ工夫しながら続けていければいいな、とも考えています。
…ということで、「巨大一括投稿」は今日で終わりにします!!
それでは、今回、ここからの書簡は、今から少しだけ日にちを戻って、5/9、僕にとっての久々の仙台スタジアムでの観戦、いや「応援」をメインに据えて進めていきましょう。
では!!!
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いや、文句無しでした。今日は。
試合内容とかプレーのレベルがどうこうじゃなく…。とにかく結果が最高でした。恐らく今のベガルタには「勝利」と「得点」が一番の良薬だと思うので、今日の試合で4-1というスコアを得られたことは心理的にも選手たちは大きな自信を得られたことでしょう。
しかし、そうした「良薬」をまるで
幼児用シロップ薬のような甘い味わいで与えてくれた水戸には心から感謝!感謝!です。ほんっと。
さて、今日の布陣は…(1トップ2シャドー気味と言って良いと思います)
中原
寿人 大柴
村上 シルビーニョ 中田
千葉
小原 ガスパル 森川
高桑
Sub:財前(73分寿人)、西谷(85分大柴)、リャン(86分中田)、菅井、萩原
んで、今日は最初に採点しちゃいます!!
中原 6.0:僕の中ではベガルタ随一のイケメン…いやそれはどうでもいいですね。
寿人 6.0:やっぱ先発が似合う11番。彼が入るとスタジアムが盛り上がる!
大柴 6.5:誕生日オメデト。心を入れ替えて今日からは応援させていただきます。
中田 6.5:走る走る、進む進む、戻る戻る、心臓バクバクバクバク。お疲れさま!
村上 7.0:今季最高の、いや今までで最高のプレー。ただ、クロス等課題は多し。
千葉 6.5:J1の2年間は無駄ではなかった。ポイチズムを継承しつつある。
シル 7.0:もはや凄すぎるのにみんなが慣れちゃって目立たないのが少し哀れ。
森川 6.5:誰が何と言おうと僕は期待。フィードの精度もあるし凡ミスは少ない。
小原 7.0:足下の技術と読みは秀逸。パスミスが極度に少ないテクニカルDF。
ガス 7.5:お笑いパス&トラップも今日は許す。ナイスガイ! ドド!!
高桑 6.0:暇だったんじゃないかな? 声出しもグー。失点はノーチャンス。
財前 6.0:おしゃれなプレーを随所に見せるも空回り気味? でも楽しんでたね!
西谷 5.5:ちょっと期待過剰だったかな? まだフィットしてないか?
リャン 6.0:ザイ、西谷と「感覚」が合いそうな予感!? 僕好みの選手かも。
ベル ???:あなたのお蔭かどうかはもう少し見てから判断させていただきます。
〔番外〕
木澤 4.0:玉田には敵わないけど、「素敵」なプレーを見させていただきました。もうちょっとでオウンゴールになる「シュート」を放ったり…仙サポに愛される所以かな。
関 5.0:アビスパ戦で松原良香をヴィラジョンガと見間違えて以来の衝撃。見た目の黒さと肉つきの良さで最初、外国人と勘違い。ナイスドリブルでした。
でも、というか何よりも…
水戸 3.0:プロですか? 練習してますか? BSE余波で絶滅寸前の牛タンを食べに来ただけですか? そしてデザートに萩の月を食べすぎて走れませんでしたか? そもそもほんとにピッチに11人居ましたか???
まぁ、とにかく
サンキュー!!!
試合の評価と、選手への一言はこんな感じです。
それでは、勝利の美酒に気分良く酔いながら、ここからはかる~~~く観戦記と行きたいと思います!!!
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僕にとっては久々の仙台入り。仙台スタジアム前にちょっと寒そうに佇むベガッ太石像の頭を一撫でしてから、いざスタジアムの入場ゲートへ。周りには僕と同じようにスタジアムへ向かう人影があちらこちらに見えている………といってもこれは試合当日の話ではない。前日の夕刻の様子である。
J2だし、相手も水戸(失礼!!)だし、チームも負けが込んでいるし、ゴールデンウィークも終わったし、まさか前日からシート貼りに奔走する人もあんまりいないだろう、と思っていたが甘かった。サポーター席は今季から拡張されたとは言えあくまで「自由席」。いい席を取るには早くから列を成して並ばなければならないのだ。
取り敢えず、場所移動が解禁となる定刻まで並び、その後は警備員さんの合図とともにシートを先頭から順に貼り付けていく。この日は階段を少々下りたところにシートを設置。これでまずは準備万端。あとは翌日の朝10:30までに再び列に加われば良いだけだ。心地よい期待感とともに一先ずスタジアムを後にし、前日入りしたこれまた他県からのベガサポとの前夜祭に向かう(といってもカレー食べて、軽くビールを飲んだだけだけど…)。
ちなみに僕の家と仙台スタジアムはmowさんの家が神戸ユニバーの近所だったのと同様に、自転車で僅か20分の距離。最寄の泉中央駅は高校時代、毎日通学に使っていた仙台地下鉄のターミナル。ここを訪れる度に不思議と懐かしさに襲われるのはそういった地理的なものからの感傷も大きく作用しているのかもしれません。
さて、翌日の朝、薄曇りで湿度が高い中、実家を出発。
昨日とは違って今日、僕たちを迎えるベガッ太石像は何やら楽しげ、暖かげ…というのも、試合日にはベガッ太石像は黄色いレプリカユニフォームを着てサポーターをお出迎えしているのです。因みに石像は家族全員がベガサポという「黒田石材」さんによる贈りもの。着用しているユニフォームも「宮城ドレスメーカー専門学校」の学生たちが実際に石像へ何度も何度も試着させつつ作った寄贈品。見た目のカワイさとも相俟って、見ているこっちの心も温かくなってくる。今や「彼」は仙スタの記念撮影スポットの一つにもなっている。
開門までは、列に並んでマッチデープログラムを読み、周りでサッカーをする少年たちを見ながらのんびり入場待機。「なになに、水戸は小林康剛(元ベガルタFW)が出てくるのか?! しかも9試合4得点? 頑張ってるな~」、「村田はタイに10泊11万円の格安ツアーで行ったのか、へぇ~(笑)」なんて言っているといつの間にか移動時間。待ち時間でこんなにワクワクできるのもサッカー観戦の一つの醍醐味。
いつもの如く、スタジアムで買った弁当を食べ、恒例のベガッ太のPK外しにブーイングを浴びせつつ、のんびりとピッチ内アップでの選手登場を待つ。水戸サポの数も思ったより多い。一時期、ホームに1000人集めるのに四苦八苦していたことを考えると、だいぶ地元に根付いてきたみたい。
因みに今日はチアリーダーのユース、Jrユースのお披露目発表会も…。何か今日はサポ自の前の方がファミリーで込んでるなと思ったら、チアの女の子たちのママさん、パパさんだったようだ。でも、何か学芸会のダンスを見に来た保護者みたいな感じで、ちょっと周りとは雰囲気が違ってるような気も…。でも、それはそれでなかなか面白い光景。…とか言っといて、将来は僕もやっぱり
あぁなってるのかな???
さぁ、ファンタジータイム(?)が終わるといよいよ選手の登場だ。
いや、やっぱり専用スタジアムは選手が近い近い。表情まで見えるし、選手と一緒に「空間の流れ」を直に感じることができる。
アップ中に行われる選手紹介で取り敢えず、サポーターの熱気は最高潮に。選手一人一人の紹介に合わせて、コール、応援歌がスタジアム全面に張り巡らされた屋根に反響しながらこだましていく。
「あぁ、やっと仙スタに帰ってきたんだなぁ~~~」。
しかし、ここで僕にとっての軽い異変があった。ベルデニックの名前が場内にコールされた後、いつもなら発生する筈の「ベルデニック」コールが全く起きず、スタジアム内が一気に「シーン」としてしまったのだ。軽い拍手が申し訳程度にちらほら。同時観戦した友人(ホームは毎試合観戦)によると前回のホーム湘南戦でもコールは無かったという。
清水さんの時はいくら連敗しても「清水」コールが止むことはなかったし、寧ろ負ければ負ける程声援は大きくなっていった(64回連続の「清水」コールもあった)。それを考えるとある意味では異様な反応と言わざるを得ない。
僕はこのblog上で一貫して散々、監督批判を展開してきたが、正直、ズデンコがここまで「コア」サポ、そして一般サポからすら信頼を失っているとは思ってもいなかった。本当に批判的な意味を込めた上でサポーターがコールを自重したのかどうかは未だ定かではないが、いずれにせよこの出来事は僕に取って新たな驚きであった。
一息つくと、いよいよ選手入場。帯が広がり、ゲーフラが立ち上がり、タオルマフラーが頭上に掲げられ、サポーターによる「カントリーロード」の合唱が始まる。僕が仙スタで最も好き、且つ、愛してやまない瞬間だ。興奮と緊張と期待の高まりに乗せて、途中から一気に歌のテンポが速くなる。それに合わせてサポーターもタオルや旗をひたすら振り回してベガルタへの想いを爆発させる。ここからは、もはやみんなで戦闘モードだ。
「ピッ!」。短いホイッスルとともに、緑鮮やかなピッチ内ではいざ尋常に!キックオフ!!!。
「さぁ、いよいよ試合開始だ!!! みんな、頼むぞ!!!」
…と、気合を入れて応援を始めたものの、開始3分での偽らざる感想は「何だ、この試合?」というもの。いや、もっと正確に言うならキックオフ60秒後には既に「この試合、この相手に負けたら、どこに勝つの?」と、相手の余りの出足の悪さに驚かされていた。水戸サポには心から申し訳無いが、文字通り
「勝つ気あるの?」と言う動き。最後の方にはベガルタサポから「水戸走れ~」という、選手の奮闘を煽る声が出ていたし、僕としても、ここまで弱い(というかやる気がない?)チームを見たのは相当久しぶりだった。いや、これは本当に…。
ここまでどうやって勝点を重ねてこられたのか、理由を見つけるのが全くもって難しかった。ゴールデンウィークの過密日程が影響したのかもしれないが、それにしても、余りにも酷かった。逆に言えば、ここ4戦をホームで3試合、アウェーも山形のみと、移動に煩わされることなく仙台で調整できたことはベガルタ戦士たちにとっては非常に幸いしていたと思う。
試合は前半から当然、ベガルタペースで進む。パスも面白いように通るし、ドリブルを敢行すればもはや相手は付いて来ることができない。いや~~~素晴らしい!!!…のか相手が弱すぎたのか??? 確かにちょっと判断に苦しむところですが、今日は大勝に免じて素直に褒めておきましょう。
シュートの雨あられとなる試合の幕開けは開始5分、シルビーニョの左CKからガスパルの今季初得点のヘディングシュート!!! 余りにガラガラ&スカスカなマーキングは置いておいて、純粋に彼の爆発を喜びたい。あのヘディングを対戦相手に意識させることができるようになれば、マークの分散とともに相手に過剰な警戒感を与えることも可能になり、非常に有効なオプションとなる。
守備に関しても、コンサ戦とは比べものにならない安定感があった。足下は拙いのは
もはや「仕様」なので、そこは責めるのはよそう。まだ若いし、徐々に上手くなってくれれば良い。それよりも今日感じたことは、両サイドの森川と小原が共に足下の安定感があり、フィードやショートパスにも正確性を保っているために、以前、数馬、村上というテクニックに少々不安のあるプレーヤーと3バックを組んでいた時と比べ、相当、ガスパル自身に時間的な余裕と精神的な安心感が生まれてきているなということだ。そして、それがそのまま彼の「対人の強さ」という特徴を引き伸ばしつつあるようにも見えた。
DFに関しては、正直、今の3人が現状ではベストの選択だと思う。いや、ずっと前から思ってはいたが…。そして僕の他にもそう思っていた人は多かったと思うが…。
先制されても全く攻撃する気を見せない相手に対し、延々とベガルタは攻め続け、30分、ついに「熱き男」が得点を決める。左WB(このポジションでの起用は疑問だが…)村上和弘、彼の記念すべきJリーグ初ゴールである。彼はクロス、シュート、もっと単純に言えば「キック」そのものの精度に著しい難があり、それを運動量でなんとかカバーしていたものの、流石に批判も多く出るようになってきていた。そうした中でようやく出すことができた「結果」には心底、彼自身嬉しかっただろう。だが、要練習なのはまだまだ変わらないぞ!!!
また、アシストを見せた大柴もこの日は運動量豊富に動きまわっており、今まで見てきて初めて「良い」と感じた。なかなか女性からの人気もあるようで…ホントにうらやま、、、、いやいや。
僕個人としては、「顔」や「性格」は別にして、選手の特性としては然程好きな選手ではないのだが、今日見ていて、ベルデニックがやろうとすることを曲がりなりにも継続していくためには彼がいないと破綻をきたすのだろうなと思った。兎に角「走って走ってできるだけ早く繋ぐ選手」、まさにそれだけなのだが、ベルデニックがある程度、選手たちにボール保持の自由を与え、さらには「ワンタッチ」、「ダイレクト」をある程度封印し、良くも悪くも戦術の呪縛を解いた現在に於いては、逆に彼の存在意義がUPしているような印象を受けた。存在感が以前よりもずっと増しているのは事実だし、それは選手にある程度の自由と自主性を与えた今の戦術の中で、必死に規律を守ろうとする大柴の「変なことをしない」、「こじゃれたプレーをしない」という「個性」が試合の流れの中で活きているからだと思う。かなり皮肉な話ではあるが…。
その後は攻めあぐねるも、何故か負けているのに引きこもり続ける水戸を尻目に前半終了。
しかし、今日の水戸は札幌ドームで見たベガルタをコピーしたかのよう。最初から引き分け狙いだったのかもしれないが、11人全員で自陣に張り付いて守っているのにスペースはがら空き、マークも外しまくり、何より足が動かない。しまいには危険地帯からのクロスボールに対してもヘディングを怖がって頭を逃がし、ベガルタにビッグチャンスを献上してくれる始末。本間のキックも意図が感じられないし、木澤はオウンゴールをしそうになるし、違う意味で楽しませてはもらったけれど…。
とにかく、お蔭さまでプレッシャーも無く、自由にゆっくりと
中盤前目で(ちょっと最近のサッカーじゃなかなかお目にかかれない…)ベガルタのMF陣はボールをキープできたし、どんどんDFも押し上げることができた。そもそも自分の陣地に水戸のFWが一人いるかいないかの状態がずっと続くのだから、ラインを下げる必要もない。
今日の試合を見て、引きこもるだけのカウンター戦術に対する限界を改めて感じた。シュートを打たれつづければいつかは入ってしまうのだから…。寿人が以前に述べた「攻撃は最大の防御」、また財前が訴えつづけた「もっと攻撃を自由に」という言葉が重く響いてくる。それを示唆するかのように、マンマークを選択し、継続したこの数試合のことを仙台放送の下田アナは夕方のニュースの中で「どぶに捨てたようなもの」と言い放っていたが、僕もその通りだと思う。
(続く)
by El Stupa
さて、前回は僕の個人的な経緯を語ることで、V神戸サポーターとなることとはいかなることかについて僕なりの見解を示しました。それは「前に蹴ってるだけのサッカー」をいかに愛することができるのかという命題で要約できるでしょう。そしてその愛の前提として、僕自身のサッカー観が変化した事があったというところまでお話したつもりです。
ロシアの歴史の中においては西欧派v.s.スラブ派という図式が常に存在してきました。これはロシアという地域が半ヨーロッパ、半アジアであるということ、文明/未開が混交している処にその理由があると考えられます。西欧から見ればロシアは「後進=アジア」で、アジアから見ればロシアは「先進=ヨーロッパ」だというわけです。かのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はウィーンで初演された時「ロシアの農民の匂いがする」としてひどく低い評価を受けたと聞きます。こうした先進/後進の二重性をロシアは帯びていたために、西欧派(西欧の先進性を認める)/スラブ派(スラブの伝統性、歴史を称揚する)という対立が常に存在してきたのだともいえましょう。
さて、日本サッカーの【脱亜入欧】的性格については
前稿で述べました。これを上記のロシアの西欧派/スラブ派に引きつければ、日本のサッカーをめぐる言論においては西欧派(ヨーロッパのリーグ、クラブ及びチームをそのサッカーから地域密着性にいたるまで称揚)とJ派(Jリーグの短所改善と可能性に言及)に分かれるのではないかと思います。例えば典型的には、Jリーグなんて欧州各国リーグを一回見たらもう見られないよとかいうのは日韓W杯前ではわりかし勢力を持って語られていたと思います。サッカーそのものに関してだけではなく、Jリーグの開始からすでに問題が始まっていたとも言える【地域密着】に関しても、西欧のクラブチームの成り立ちは称揚されつつ鑑となっていたし、今もそうであると思います。イギリスに関してStupaさんが論じたように、それは産業革命前の伝統を労働者階級が受け継ぐ形で発展させた、下からの力ゆえだとも言えるかもしれません。
しかしながら、自分の街のチームに対する愛情というのはいささか常軌を逸した所にまで到るのも事実です。フーリガンは置いておくとして、随分前のことですが雑誌『ナンバー』に「ダービー」かあるいは「ライバル」というような特集があり、そこでレアル・マドリッドとバルセロナの両チームの関係についての記事がありました。色々と因縁の深い両者の歴史から説き起こしたその記事は以下のようなエピソードで締めくくられていました(うろ覚えなので細部はいい加減です)。
生れた時からずっとバルサファンだった高齢の老人が死に瀕している。ところがその最期の日々に彼は突然にもバルサのソシオから脱退し、レアルのファンとなると言い出し、周囲の人間を驚かせる。もちろん周囲の人間も皆バルサファンだ。なぜ今そんなことをするのか?という質問に対してその老人はこう答えたという。
「私はもうすぐ死ぬ。しかしこれから死ぬのは我らが偉大なるバルサの一員ではなく、年老いたレアルのサポーターが一人死ぬのだけのことだ」
あまりにもできすぎた話で真偽を疑いますが、地域の、そして自分のチームへの愛情というものが常軌を逸した所までいった典型的な事例としてよくイメージできると思います。ヨーロッパにおける(南米でも)クラブチームへの愛情というのはこのように優れて強いものであるという僕の印象は、V神戸というチームへの応援を困難にしましたし、またヨーロッパに生れていればこんな悩みもなかったろうとも思いました。今から考えると、これはヨーロッパのクラブチームとファンの関係のイメージから自己が疎外されていたということだと思います。いってみれば僕はかつて結構本格的な「西欧派」で、いくらやっても日本は西欧に追いつかんし、真似っこしても無駄でしょとか思っていたところがあったのでしょう、いまはそうでもありませんが。しかし、考えてみるに、本当に西欧のクラブチームにはどこもかしこも愛情たっぷりのファン、阪神ファンのようなファンばかりがついているのでしょうか?どこもかしこも西欧のスタジアムではマス(群集)・モブ(暴徒)化するような反抗心の表出が息づいているのでしょうか?それは日本に比べて相対的に一般的なことなのでしょうか?そしてそれがあるとして、それは伝統的-歴史的-根源的な経験なのでしょうか?それともこれは、自分にないものを他者に見るロマンティシズムなのでしょうか?
そうした根源性がサッカーとそのスタジアム観戦、そしてサポーター及び地域との関係にあるかどうかはわかりません。西欧でも日本でも、あるところにはあるし、ないところにはないというのが実際のところでしょう。金満リーグ・プレミアリーグではチケット代の高騰から労働者の応援なんてスタジアムでそうそうありえるとは思えませんしね。マーク・ハーマン監督の『シーズンチケット』なんかでも、英国におけるプレミア・サッカー(TVメディアとの結びつきによるチケット値段の高騰と裕福な人間によるチケットの寡占)と労働者階級の悲惨な状況(鉄鋼業などの衰退による恒久的な不景気)が描かれています。
リンクの方に張ってある
From Backstandさんでは、サッカー関連の書籍が広く扱われていて大変便利なのですが、そこで2003ベスト1ブックとなっていたのがティム・パークス(訳.北代美和子)『狂熱のシーズン-ヴェローナFCを追いかけて-』(白水社、2003)です。是非買おうと思うのですが、最寄の図書館にはもちろん入ってなくて、現在は懐具合が寂しいので、そこが改善されたら購入して読んでみます。直接リンクが貼れないので、
From Backgroungさん「企画モノ」のところにあるレビュウを見て頂けるといいと思います。
そこで言われているのは、ヴェローナというチームのサポーターが、すでに失われた地域のアイデンティティを主張できる場所として、スタジアムで「仮面」をかぶり「人種差別主義者」を自覚しながら「演じてみせ」ているということです。
El Stupaさんは前回、このように書いていました
そういった観点から見ると、現代のフットボールに於いても人々は「サポーター」という「仮面」を被り、「レプリカを着る」という「扮装」を施すことによって、自らも全く与り知らぬうちに「純粋かつ素直な自らの心情」を臆することなく外面へと表出していると言えるような気もする。ただし、現代に於いてのそれは「鬱憤の吐露」といった限定された目的に囚われたものではなく、全く反意の「喜びの発露」でもあり、「楽しさの具現化」でもある。
「自らも与り知らぬうちに」仮面を被るのか、それとも
完全に「自覚しながら」(人種差別主義者の)仮面を被るのか、サポーターを考える場合、この差は大きいと思います。それは単にフーリガンや人種差別といった忌まわしい行為信条という具体のレベルで図られる差には止まるものではありません。「鬱憤の発露」なり「喜びの発露」なりを多かれ少なかれ意識的に現代のサポーターは行っているのであり、その点ではヨーロッパも南米も日本も差はないと僕は考えます。まさにこのように考えることで、僕は何でも西欧のサッカー、リーグ、クラブが本物であり、日本よりいいのだという西欧派の立場を降りることになりました。またそれは、Jリーグに於いて地方のチームが「地域密着」で都市部のチームが「クール」と言うのは、事実レベル(観客動員数等)ではそうでしょうが、サポーターとしては同様の意識の地平があるということでもあります。しかし、この議論を突き詰めると、別に特定のチームに対して「必然的な」関係(生まれや育ち)がなくてもサポーターとなることは可能であるということにもなりますし、反対に言えばそうした必然的な関係を語ること自体が問題だということにもなります(日本代表はナショナリズムを胚胎し、クラブチームはそのサイズが縮小されただけで構造は同じと批判できることになる)。
そこまで行くと再びリベラルなサッカーファンに立ち戻るわけですが、しかし結局僕はアンカー・ポイントとして神戸から始めることにしました。どこかのチームのサポーターとして自分を意識することで見えてくるサッカーの景色があると思ったし、その際にやっぱり自分の出自からV神戸が選ばれたわけです。そういう意味では、僕という「一人のV神戸サポーターができるまで」には紆余曲折がありつつも、結局あるがままに落ち着いたともいえます。ただ、その選択に関して、「そこから始めるしかない」という「~しかない」という消極的な形でしか自分のサポーター立場を語れないということ、これがおそらくStupaさんと僕との大きな違いであると考えます。そこにおそらく、【サポーター達は「自らも与り知らぬうちに」仮面を被ることで原初的なサッカー観戦経験を身体的に反復し、感情を発露させているのではないか】と要約されるStupaさんの立論と、【実はサポーターは、意識的にサポーターとしての仮面を被り、人種差別や他チームへの誹謗といった負的な行為への潜在性も、感情の発露という正的な行為も、双方の可能性を含んだ多様な行為を行える空間をスタジアムにおいて享受しているのではないか】という僕の立論の差が出てくるのだと思うのです。
Stupaさんとの議論の対立を弱くして馴れ合いにしたいわけではありませんが、正直な所、このどちらの立論も微妙な所であり、両者の要素はどのチームのサポーターたることにも存在しており、チーム毎にその重心に差があるか、それとも同じ物事を別の角度から見た場合異なって見えるということであるのかもしれません。それはまさに「仮面」という言葉/行為をめぐっての解釈の差ということになるのでしょう。
首都圏/関西圏側のサポーターの皆さんが怒らないように、という心配をStupaさんがしていたので、議論そのものを強引に首都圏/関西圏サポと地方サポに本質的な違いはないという地平に持ち込んで相対化してみました。今度は僕が怒られないように心配しないといけませんかね(焦)。
長々と書いておいてなんなんですけど、今回の投稿は、本音を言うと「羨ましくなんかないやい」ということなんですけどね。
了
by mow-an
追記)
今さら気づいたんですけど、僕とStupaさんは多くの面で対照的ですね。本ブログの最初の投稿に示したようなサッカー観の対照もそうですけど、物事に対して悲観的な僕/楽観的なStupaさんという対照がだんだんと記事に表現されるようになってきたような気がします。そういえば、Stupaさんとは同じフットサルチームなのですが、プレイ中の意思疎通もうまくいかないですよね(笑)僕がそこは前に走ってくれと思ったら、Stupaさんは僕に走るよう期待していたり。実力のほどはどちらも似たよりよったりなんですけど。
みなさんこんにちは、管理人mow-anです。Stupaさんは×2投稿が常態になってきましたね(^^)。それにしてもお互い一回の投稿文字数が多すぎて、とてもブログとは思えない。というかStupaさんは勉強しすぎ・僕の記事が思いつきみたいじゃないか。まあ、そうなんだけども。
また、言い忘れていましたが、先日1000アクセスに到達しました。少しずつ訪問される方の数も増えています。今は一日平均40人強というところでしょうか。コメントも増えてきて、El-Stupaと私mow-an共々、日々の糧にさせていただいております。
さて、V神戸ですが幾つかニュースがありましたね。ボノさんがコメントで書いてくれたように、チェコ代表(主にサブだが)ロクベンツを獲得かという情報がきました。イルハンの来日が5月中旬以降に延びたこともあったのか、あまり信用できないとふんだのか。それにしても三浦(泰)チーム統括部長が欧州遠征時にヨーロッパに行っていた事は知っていたのですがまさかロクベンツとは。まあまだどうなるかはわかりませんが、ロクベンツが契約を所属チームで終えるタイミングで移籍金が発生しないこと、ハシェック監督がチェコ語で会話できることなど材料が揃っていることは確かです。しかし、どう考えてもFWは数が多すぎるでしょう。播戸、三浦(カズ)、レアンドロン、村瀬、小島、イルハン…MFも広く兼任する小島を別にしても5人のFW。これに対してMFがいかにも薄い印象は否めないのですが…。次のニュース。札幌からレンタルで来ていた和波がもう札幌に帰るようです。4-4-2がフィットしなかったのかなんなのか、いずれにせよ札幌にとっては左サイドが懸念材料らしいので喜ばれているようですが。神戸の左サイドはホージェルと藤本のラインで固定でしょうから、和波には残念な結果でしたね。そして最後のニュース。5月16日のホーム清水戦に、またまたゲスト攻勢ですが、田崎ペルーレの女子日本代表5人(川上、磯崎、山本、柳田、大谷)がやってくることになりました。さすが三木谷社長、動きが早い。うまくこの神戸の2チームが連動できるといいのですが。
さて、前回のStupa氏の投稿はサッカーの歴史から説き起こし、仙台をはじめとした地方都市におけるサポーター及びサッカーそのものの位置について論じたものでした。僕はこれまで都合二度Stupaさんとスタジアム観戦したことがありますが、確かに彼と僕とでは観戦態度にやや違いがあるように感じますね。これは後に論じるように、僕の神戸という街におけるサッカーとの関わりと、Stupa氏の仙台という街におけるサッカーとの関わりの違いという出自における相違が大きく影響していると考えられます。英国サッカーにおける上流階級/労働者階級という伝統的なクラブ格差の変奏として、日本においては中央/辺境という地理的相違のほうがより強くクラブと地域との関係に息づいているというStupaさんの指摘は炯眼であると思います。その上で、クラブと地域、あるいはあるクラブのサポーターであることとはいかなることかを、反対の側から、ということは非-地域密着型の人間の側から考えてみたいと思います。
僕の個人的な経験からしか語りえないことなので恐縮なのですが、僕が神戸サポーターであること、とはいえファンクラブにも入っていないのですが、少なくともV神戸が勝てば嬉しく感じること、そこに僕が到るまでのプロセスというのは、サッカーそのものを好きなこと/あるクラブを応援することの関係を物語る所があると思います。僕が自分をヴィッセルサポだと認めたのは、1999年の暮れからでした。この年ヴィッセルは新監督に川勝良一(前ヴェルディ川崎監督)が就任、金、河、崔の韓国トリオを擁して、1stステージを12位で終了(5勝1分9敗) 2ndステージを7位で終了(7勝3分5敗)、年間順位過去最高の10位 と好成績を残し、ナビスコカップは1回戦敗退し、天皇杯でも初戦敗退したものの、ほぼ例年のことであり続ける降格争いもなくシーズンを終了しました。それでも、この成績が僕をヴィッセルサポにしたわけではありません。僕の家は当時の神戸のホームスタジアムであるユニバー記念競技場まで歩いて15分の距離にあったにもかかわらず、観戦したのは二回だけ、しかも磐田戦とG大阪戦と、ほとんど相手チームを見に行くためのものでした。
ではこの年何があったのか。チャンピオンシップ、磐田v.s.清水です。これにさきだつ2年間は磐田と鹿島の2強時代で、清水はその3位に甘んじていましたが、鹿島が世代交代期にあり、そして磐田が名波不在のこの年、清水は澤登と共に市川、サントス、伊藤、アレックスの5人の中盤が円熟期を迎え、Jリーグ制覇に最も近づいた年でした。僕はそれまで数年来、清水エスパルスのサッカーが最も好きで、また海外ではオランダのサッカーを最も愛していました。高い技術と組織力の両方に裏付けられたボール保持率の高いサッカー、「美しい」サッカー、これが両者に共通する点であり、「勝負弱い」というのもまた両者に共通する特徴でした。結果から言えば、清水DFの西澤のミスから中山に失点を食らった直後に、澤登の素晴らしいフリーキックからゴールを決めた1stレグを1-2で落とし、再び澤登のゴールとファビーニョの感動的なVゴールによって2stレグを2-1で勝利したものの、その後のPKで2-4と敗れたのでありました。
清水エスパルスの敗北は僕にとって非常に残念なことでした。当時は磐田-鹿島しか優勝はないような雰囲気でしたし、両者の、とりわけ両者が直接対決したときのガツガツした当りや時間稼ぎなどのプレイは僕にとって見ていてあまり気持ちのよいものではなかったのです。しかし、清水は敗れました。ちょっと何年のことかは忘れましたが、Jリーグ神戸v.s.清水戦の前に清水の選手がインタビューされて神戸に対してこんなことを言っていました。「あんなボールを前に蹴ってるだけのチームに」負けられない。こういうような趣旨だったと思います。当時、ぼくはちょっとイヤだけど「仕方ない、本当のことだから」とこの発言を認めました。今なら軽蔑ものですが、当時はやっぱり清水のような美しいサッカーに魅了されていましたし、神戸の「前に蹴ってるだけの」サッカーというのは確かに退屈で、たまにテレビで試合があっても概ね途中で寝ていました。
しかし清水は敗れました。僕がそのことをしきりに残念がっていると、友人が
「勝ったチームが美しいサッカーをしたのであり、美しいサッカーが勝つのではない」という今から考えると天啓とも言えるような言葉を僕にかけてくれました。この時から今に到るまで、僕は合理的かつ組織的で下手でも華麗でなくてもいいから骨惜しみなく全員が走り回って、ガツガツあたりもすればアコギな時間稼ぎもする「勝つ」ことにこだわったサッカーを好むようになり、クライフ嫌いとイタリア好みが始まり、そしてヴィッセル神戸を応援することに決めました。95年のチーム創設以来、97年のJ昇格以来、ようやくのことです。このように、V神戸のファンとなった理由の一つは僕のサッカー観の変化にあると言えます。けれどもこれはサッカー観の変化であって、清水の応援をやめる理由にはなっても、なにもV神戸を応援することとは関係がありません。以下、なぜ人はその居住地域の応援をするのか、を考えてみたいと思います。
僕の場合、自分の住んでる地域だからV神戸のサポーターとなるという風には物事は進みませんでした。そもそも神戸という街は、港町にしばしば見られる特性ですが、新奇なものには飛びつくが長続きしないという流行-嗜好が強い傾向があります。こうした傾向の原因を、海から新奇なものが次々とやってくる状況にあった神戸の歴史に求める人もいますが、それはわかりません。しかし、オリックス・ブルーウェーブの興隆と凋落を見ればかくやというところはあります。そういうことを意識していた僕は、そうした傾向にうっかり乗りたくないし、そもそもサッカーが好きなのであってどこどこのチームが好きなのではないというコスモポリタンでリベラルな立場をとっていました(実はこれも神戸らしいといえばそうですが)。また逆側の要因として、チームが好きで野球は別に好きではない阪神という存在があったのは事実です。こちらはほとんど刷り込みみたいなもので、幼少の頃から巨人ファンが迫害にあうのを見もし、またサンテレビの実況と解説を離乳食代わりに毎日聞いていれば、そりゃもう他に選択肢がない形で阪神ファンになります。僕なんかは野球はあまり知らないけど、巨人が勝てばイヤだし阪神が負ければ悔しい、阪神が負けても巨人が負けたら溜飲が下がる、という典型的な阪神ファンなのですが、V神戸のほうは先にサッカーを好きになったせいもあってこうはいかないのです。こうした状況は野球とサッカーという二大スポーツを抱える日本の特殊事情の現われだと思うのですが、これはまた別の機会に譲りましょう。
---------------------------------------------------------
というところで次回に続きます。次回はこうした個人的な要因から離れてもうちょっと一般的な観点からサポーター観、地域とサッカーの関係について考えてみたいと思います。
(続)
by mow-an
さて、このように、統治者や官憲、また上流階級への抗議手段として、都市や共同体の「祭祀」的な意味をある種の「隠れ蓑」にしながら、延々とイングランド各地で続いてきた「マス・フットボール」ではあるが、19世紀に入ると急速に衰微の一途を辿ってしまう。そして、その要因を探ると当時の時代背景が大きく関与しているのがわかる。以下にその理由を少し挙げてみよう。
A.第2次エンクロージャー(=「囲い込み」)
そもそも、これが何かというと、産業革命が進行し、都市労働者の増大によって穀物需要が増大していた頃、それを満たすためにイングランドの農村で発生した地主による耕地や共有地の「囲い込み=土地接収」のことである。そして、この「囲い込み」によって土地を失った農民の多くは低賃金、長時間労働の都市工場労働者になっていくより道はなかったのである。
この「囲い込み」は「フットボール」を行う空間を奪ったのみならず、若年層の都市への流出と農村の過疎化を招き、さらには農村共同体そのものを解体する結果を生み出した。すなわち「祭り=フットボール」とそれに伴う同胞意識を急速に衰退させていったのである。加えて、伝統的農村を支えていた家父長的領主(いわゆる
「パトロン」)が資本主義的地主に変質してしまい、それまで農民の保護者として民衆に与えていた「祭り」や「フットボール」に対する支持や同情をすっかり撤回してしまったのもその衰退の大きな要因となった。
B.産業革命
「囲い込み」によって「フットボールのための空間」を失った民衆は、さらなる工業化により労働時間がさらに増大し、休日も激減したことにより(1833年の工業法では安息日以外2日のみ)、最低限度の「フットボールのための時間」をも同時に失うこととなった。また、都市化の進行により、個別化、核家族化、そしてそれに伴う都市の均質化が進行したこと、さらには各地域の慣習法が次第に失われていったことも「フットボール」の存続に対して強い負の作用を及ぼした。つまり共同体が「フットボール」を産み出す精神的土壌そのものが失われてしまったのである。
こうした急激な社会的、経済的環境変化によって、「マス・フットボール」は19世紀中葉以降、その地域的祭祀としての、また、社会的抵抗・抗議運動としての存在価値を急速に下落させていき、さらには物理的な担い手となるべき人材をも同時に一気に失ってしまったのである。その結果、フットボール(=サッカー)の起源としての「(マス・)フットボール」はその歴史の幕を事実上、産業革命期を最期に閉じることとなったのである。
確かに、その後も伝統を守り、細々と祭祀として競技を続けていった都市もあったが、それでも20世紀前半に到るころには、もう「マス・フットボール」そのものは殆ど行われなくなってしまった(ダービーで祭祀的「フットボール」が行われたのも1846年が最後)。
だが、「マス・フットボール」は失われても、フットボール(=サッカー)は確かに残った。それは、競技を行っている最中に、「ボールを蹴った方がより遠くへ飛ぶ」という単純な楽しみを見つけた人々が近所の空地で競技を続けたからでもあるし、また何よりもその裾野を広げた大きな要因として挙げられるのは、18世紀以降、パブリック・スクールで「フットボール」が学校授業の一環として取り入れられたことである。
特に産業革命以降は、教育システムが整備され、「暴力」や「抗議」の部分を排した「フットボール」が正式な体育科目としてパブリック・スクールに導入されるケースが非常に多くなっていった。そして、そこで競技を楽しんだ各校の卒業生たちが、イングランド各地の大学へと進学して、その「遊び」としてのフットボールを広げていったのが、現在の「競技フットボールとしての原型」になったと言われている。その後、各大学同士で試合を重ねる度に、各地域ごとでそれぞれ異なっていたルールの齟齬を埋める作業が続き、次第に統一ルールが完成していったのである。
最初に述べたように、南部ロンドン周辺に於いては上流階級のアマチュアリズムに基づく「お遊戯」フットボールが定着、また流行していたのはこのような理由によるところが大きい。
対して、北部でフットボールのプロ化、職業化が進んだ要因は、南部のように「学校」が主体となったのではなく、各地域の「教会」がその普及に大きな役割を果たしたことにある。
そもそも牧師たちが「フットボール」を北部の民衆生活へと導入した理由は、南部のパブリック・スクールと同様、「心身を鍛練し、律する手段として体育教育を実施すること」にあった。しかし、貧しい民衆とより近く接していた「教会」が「フットボール」の伝導役を買って出たことは、そうした教育的な意図を遥かに超える結果をもたらした。端的に言えば、それまで
お坊ちゃんのスポーツであった近代フットボールが、低賃金労働を強いられてきた膨大な北部の
労働者階級へと急速な浸透を見せたということである。
南部ロンドン中心のそれが学校体育や休日の余暇、またレジャーとしてのスクール対抗スポーツ大会だったのに対し、北部では皆が真剣にフットボールに取り組んだ。労働者たちは各工場や製鉄所ごとに自分たちの「クラブ」を作り、勝利を至上目的として活動を開始したのである。
そして徐々にそうしたクラブ対抗のフットボールが盛況を見せるようになると、資本家たちは自らが雇用する労働者のクラブを積極的に支援するようになっていく。それは、自らが「所有する」クラブが負けることへの心理的抵抗が芽生えてきたのと同時に、勝利が、さらには勝利の継続によるトーナメントでの優勝が、一般大衆への強いコマーシャル効果を与えると考えられたのも一つの要因ではないかと思われる。
こうして、工場や製鉄所での労働にではなく
「フットボールのプレーへの対価」として報酬を与えるシステムが徐々に完成していくこととなる。また、それに付随した勝利ボーナスや優勝ボーナスという概念もこの頃に発生した。
19世紀も後半、フットボールのプロ化の萌芽であった。
と、以上、ここまで最初期フットボールの歴史について見てきたが、現在に至るまでフットボールが、特にイングランドに於いて、労働者階級や下層階級から絶大なる支持を受け続けてきている理由としては、
「権威への反抗」というフットボール黎明期から脈々と受け継ぎ、また実際に行使されてきた伝統を見逃すことは決してできないだろう。
現在でもフットボールスタジアムでは、統一の目標を持ったサポーター同士が階級や身分の差を越えて同じ場所に集合し、一つの擬似共同体をその空間に作り出している。そしてチームカラーである同色のユニフォームを身に纏い、顔には思い思いのペインティングを施し、一つ一つのプレーに歓声と嬌声を上げ、自らの喜怒哀楽をその空間に於いて直截的に表している。それはまさに数百年前、謝肉祭の祭りの一環として彩られ、形作られていた「フットボール」という「非日常の時空間」の再現とも言える趣だ。
顔を黒く塗り潰し、女装をするなどの「扮装」をし、「仮面」を被ること、またそうやって「自らの存在を隠匿」することによって、通常時には為政者から押さえつけられていた、また自らの心中に静かに押さえつけていた「鬱積」を吐露し得る時間や空間を形成すること、それが民衆による「マス・フットボール」であった。
そういった観点から見ると、現代のフットボールに於いても人々は
「サポーター」という「仮面」を被り、
「レプリカを着る」という「扮装」を施すことによって、自らも全く与り知らぬうちに
「純粋かつ素直な自らの心情」を臆することなく外面へと表出していると言えるような気もする。ただし、現代に於いてのそれは「鬱憤の吐露」といった限定された目的に囚われたものではなく、全く反意の「喜びの発露」でもあり、「楽しさの具現化」でもある。
そして、現場に於いて「祭り」の状態を互いに認識し合うこと、換言すれば、クラブを心から愛する人間が自らのホームスタジアムに集い、またそこで謳うこと、それによって、サポーターたちは、より大きな「力」を得、また上位者への「反抗心」を育み、
擬似的な「マス(群集)」や「モブ(暴徒)」と成り得ているのではないだろうか?
こう考えると札幌、仙台、新潟、鹿島、大分といった、これまで歴史的に見ると相対的に虐げられてきた地方都市に於いて、
「地域密着型フットボール」が隆盛し、逆に、現在の国内政治経済の中心地である首都圏や、有史以来長らくの間、「首府」として君臨してきた関西圏では、
「高名な巨大企業がそのバックに付いている」にも関わらず、今一つフットボールが盛り上がりに欠けるのもどことなく頷けるような気もしてくる。
フットボールが内包する「反抗心」や「抵抗心」を歴史的により強く保持してきたのが
「辺境」としての前者であることがそこには影響しているとも言えないだろうか?
事実、試合当日に街そのものが「非日常的なフットボール時空間」として変貌する濃度と密度も、やはり地方都市の方が高いようにも感じられる。
一例として仙台を見てみるならば、試合当日にレプリカユニフォームを身に纏い、頭にバンダナを巻きつけ、タオルマフラーを首にかけてバスや地下鉄に乗り込んでも、もしくは街中やデパートの中をその格好のまま闊歩していたとしても、「あ、今日はベガルタの試合の日だもんな」で済んでしまう空間がその日には作り出されている。また、仙台スタジアム周辺の家々や店舗の多くも、ベガルタの旗を掲げ、スタジアムへ向かう金色の群集とともに異空間としての雰囲気を醸成している。
また試合開始前から鳴り響く応援歌やコール、そして統制の取れた縦揺れ、横揺れは、まさにそうした擬似共同体としての人々の一体化を示しているし、ゴールの瞬間に一斉に立ち上がり、前後左右、だれかれ構わず周囲の人と喜びを分かち合いつつ咆哮する人々の姿はまさにイングランドの「フットボール」、それの如きでもある。
試合当日の朝から試合終了後しばらくの時間が経過するまでは、フットボールによって「街」そのもののたたずまいが一変し、また、周辺の空間に於いては人々の服装も黄金色(山吹色と呼ばないで…)一色に染まっているのである。そしてそれを「おかしい」、「変」と思うような人は、サッカーに興味があるなしに関わらず街中には殆ど存在していない。
つまり、ベガルタと仙台スタジアムを人々が結集するための大きな紐帯として、ごく自然なままに「非日常の時間と空間」が、そこには存在し得ているのである。
こうして見てくると、フットボールへの熱狂度と高揚感が仙台や新潟といった地方都市で爆発的な高まりを見せているという事実は「祭り」として、また「反抗心の表出」としてフットボールを体現する素養をそうした地域とそこに住む市民の多くが歴史的にも、精神構造的にも備えているから、とも言えるような気がする。そういった意味では、地方クラブのフットボールはあくまで「相対的に」であるが、
より「マス・フットボール」に近い存在と言えるのかもしれない。
………ちょっと勘繰りすぎでしょうか??? もちろん、今回は「マス・フットボール」という一面からしか考察していませんので、少々、論旨に偏りがあるかもしれません。もちろん、地方都市であってもクールなクラブもありますし、クラブが盛況を見せている理由としては、その背景というよりもメディアやスポンサーの営業努力によるものが大きいのもまた事実でしょう。ただ、トータルでフットボールを見た場合、「こういう傾向もあるのでは?」と思い、最後は書いてみました。どんなもんでしょうか?
(首都圏並びに関西圏サポの皆さんは怒らないで下さいね。個別のサポーターに関しては「祭り」を体現しているのは間違いないと思います。ただ、「街」としての時間と空間の密度からいうと地方都市の方がより「マス・フットボール」的かな、と…。どちらかというと首都圏や関西圏はいい意味で「上流階級のフットボール」的なゆとりがあるような…)
p.s.)ちなみに、アシュボーン(Ashbourne)という都市では昔ながらの「マス・フットボール」が未だにそのままの形で行われているみたいです。懺悔火曜日という謝肉祭の最後の日に実施されているようですが、もし、イングランドを観光する機会があったら、フットボールファナティックとしては一見の価値はありかも…。
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ちなみに今回の参考文献は僕の友人のレポート以外に、
『オフサイドはなぜ反則か』 中村敏雄著 三省堂新書
『フットボールの社会史』 F=P=マグーン著 岩波新書
参考HPは
フットボールの歴史とイギリス社会
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今回は試しに趣向をちょっと変えて、雑学っぽい内容を集めて記事を纏めてみましたが、どうだったでしょうか?
一見、ちょっと小難しそうでも、読み終わるころには豆知識になればいいなと思って書いてみましたが、やっぱりちょっと似合わないかな~~~!? ま、当分はいろいろ試行錯誤しながらやっていきます!
取り敢えず、次は待ちに待ったベガルタ現地観戦があるので再び「熱論激論」で行きますね!
そして、mowさん、前回はなかなか面白い考察をありがとうございました。
脱亜しきれない(ひょっとしてしたくないのかも)アジアの一国。確かに、その微妙な日本人の「機微」が今の日本代表サッカーを廻る微妙な「思い」と「想い」を形成している要因の一つなのかもしれませんね。
今後も女子サッカーについては喧喧諤諤の意見交換といきましょう!!
よし! まずは、6/13開幕のLリーグでYKK東北をサポートするぞ!! 大部さんもいるし!!!
でも、正直ペルーレのホームタウンが神戸なのがうらやましいな…。
by El Stupa
追記)
mowさん、チェコ戦評ありがとうございました。こんなに早く書いていただけるとは…ちょっと恐縮です。どうやら今年のEUROは地上派放送もあるようですので、お互い楽しみましょうね。